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2009年07月30日
私が18歳の頃、これから生きて行くのに、どんな職業に就けばよいのかと、とても悩みました。
サラリーマン、公務員、技術者、などなど・・・?そんなある日、友人から都賀町の材木屋の社員が急に辞めてしまい、困っているので、ぜひ働いてみないかと言われ、まあ腰掛とのつもりで勤めることにした。主に仕事を教えてくれるのが、女将さん(社長夫人)だった。
細い体で、材木を、ヒョイ ヒョイと担いで「この要領で担ぐのよ」と、いとも簡単に言うが、
なかなか思ったように担げず、肩に材木が食い込み、えらい所に来たもんだと、思った。
やがて材木や建材なども徐々に覚え、お客である大工、工務店に材料の配達や、時には営業
など、そこそこ面白くなってきた。
そんなある日、ある工務店の上棟現場に出くわした。
ピタピタと見事に建ち上がっていく流れを見て感動した。
ミスもなくこれだけ複雑に材木が、組み上がる風景を見た。
「すごいなあ」・・・・しかし、周りを見ても図面はなく、ベニヤ板に墨で、何やら簡単な図が書いてあるだけ、私は、棟梁に聞いた。
「親方、これだけで何で家が建つのか」と、すると、「俺の頭の中に、骨組みや完成予想図が入ってんだよ」と、自慢げに、また誇らしげに言った。
私は、衝撃を受けた。
今まで何やってたんだ、毎日、毎日、指示されたとこへ指示された物を、頭も使わず運ぶだけ、それに引き替えすごいなあ・・・大工さんは・・・
その時「俺の天職は、これだと思った」19歳の春だった。
物造りは、決して好きではなかったが、これが男の仕事だと吹っ切れた。
そして絶対、25歳で一人前になって独立開業すると思った。
どうにか、その親方に、弟子入りが許された、・・・それからというもの、一切ぶれることもなく、早く覚えたい、良い仕事がやりたいの連続だった。
幸い、厳しい親方だった。
ほとんど教えないでやれという、当然できないから「やる気がないなら帰れ」と怒鳴られる。
散々小言を言われて「いいか、1回しか教えねから良く聞いとけ」、てな調子で毎日が真剣だった。
おかげで聞くと怒られるから毎日やったことを記録した、また本が俺の師匠と決めた、夜は親方の反対を押し切って訓練校に通い、25歳の独立が目標だった。
25歳の春、思わぬ話が飛び込んだ。
お前は独立しないのか? もし出来るならうちの納屋を直してくれねいか。
現場に来ている板金業者の従業員だった。
願ったりかなったり、ぜひ頼むという事で独立した。
天海工務店としてスタートしたがさあどうしよう。困ったことが起きた。
お客さんから、いくらくらい工事費がかかるんだ。見積持ってきてくれよ。
な、なにそれ、み・・見積、見積がわからねえ、今ならネットなどの情報が出回ってるが、30年も前だと、そうは行かない、それから図書館に行って建築雑誌を借りまくったものだ。
また、設計事務所の先生に教えていただいたり、あの手この手で、なるほどと悟った。
大工としての修行はしたが、工務店経営の修行はしてこなかった。
そこで、独立してからが、本当の修行と悟った25歳の春でした。
裸一貫の若造に大した仕事は来ない。
犬小屋、鳥小屋、豚小屋と友人からは、「天海、後、牛小屋を造れば完璧だな」と冗談を言われた。早く人間様の家が来ないかと待ちどうしかった。
しかし下請けをやる気はなかった。
どんな仕事も私の足跡、綺麗な足跡を残したかった。
営業も苦手だった。どうしたら、仕事が来るのかと思った。
お客様は、すべてが私の親の世代、駆け引きや、ハッタリは通用しないと思った。
生意気なことを言うとお説教をもらった。
そこでまた、悟った。
仕事は、宣伝や営業で来るのではないのだと・・・、若いけど、こいつは、まじめに一生懸命 夢と感動を与えてくれた、そして思った以上に良い仕事をしてくれた・・・ありがとう・・・。
やはりこれだと思う。とにかく常にお客様の夢を叶えたい、喜んでもらいたい、幸せになってもらいたい。
そのためにできる限りの努力を惜しまない。
こんな姿勢でこれからもお客様のお役に立っていきたいと思う。
25歳から30年間1日も仕事が切れなかったのも、お客様をはじめスタッフそして家族の援助に
感謝いたします。これからも、よろしくお願いいたします。
55歳 天海正司